過去ログ

前部室過去ログ(2003)

前部室過去ログ 2003/01/01 ─ 2003/12/31

  1. [580] おヒサです。

    うるぶ

    どうもご無沙汰しております。うるぶです。
    パソコン君の改修工事をしていたのですが、
    うまく作動せず、近日ようやっと復旧しました。
    アンドレア・ドリアばりの大改造だったのですが、
    どうにか動くようになりました(知人の助けを借りてですが)。

    ビスマルク番組、地上波ではなかったんですね。
    楽しみにしてたんですが、残念です。

  2. [579] ビスマルクの補足とクリクースマリーネの軍装について。

    兆治

    NO577の私の書き込みで「探索チームは最新の装備を備え、
    かってビスマルクが辿ったの同様にキール運河を通り大西洋を目指します。」
    と、ありますが誤解を招く恐れがあるので念のために補足します。
    実際のビスマルクは1941年の5月にハンブルグのブローム&フォス造船所を出て
    キール運河をキール方向に進んでます、その後ゴーデンハーフェンを出向しバルト海
    から北海、大西洋と目指します。
    それに対し今回のキャメロンチームはキールからハンブルグ方向に運河を進み直接、
    北海に出たようです。

    <フリッツ様>
    >Uボートの映画の冒頭の場面で士官達の軍服の美しさに、初めてこの映画を
    >見て以来20年来憧れています。
    >特に両胸の襟とピークラベルの間にわずかに見える金ボタンが、何と奥ゆかしく、
    >しかし、何と確実に軍服の名誉を自己主張していることか。
    >ところでこのスタイルのドイツ海軍の制服はこの映画でしか
    >お目にかかっていません。史実に確実に即している映画なので、
    >間違いはないのでしょうから、どなたかこのことについてご存じ
    >の方が入れは教えて下さい。
    はじめまして。Uボートクルーを中心にしてクリークスマリーネの軍装品を
    実物、レプリカ共に収集している者です。といっても大した品物持ってま
    せんし、キャリアもありません・・・なので以下に述べることは参考程度に
    していただければ幸いです。
    お尋ねの件、正直申し上げますと、官給品の制服といえども仕立て屋さんに
    よって、いくつかパターンがあるのだろうと簡単に考え、今まで特に疑問に
    思ってませんでした。
    でも、あらためて考えると大事なことでありかつ難しいです質問ですね。
    と、申しますのは国内におけるWW2ドイツ軍の軍装品収集家はSSや陸軍と
    比較し海軍は少ないのが実情です。
    私の知る限りドイツ海軍の軍装品を詳しく解説した書籍(和訳本)は記憶に
    ありません。このような現状を踏まえ、私の知る範囲でお答えします。
    お尋ねの場面で登場する士官の紺色上下の軍装は過去に出版された資料本で
    略式軍装、あるいは通常軍装と紹介されてますが以下、ここでは略式軍装と
    述べさせてもらいます。
    WWⅡドイツ海軍士官の略式軍装上着を正面から見ると片側5個、つまり両方
    で10個のメタル製金ボタンが数えられます。
    これに質問者の最大の関心事である襟のところにちょこんと覗いている金
    ボタンを入れると左右で二つ増えるわけですから計12個になります。
    確かに映画「Uボート」の冒頭場面で士官達の着用している略式軍装の上着は
    12個のボタン仕様になってます。

    で、まずはドイツ海軍士官の略式軍装が登場する映画を下記のように思い出
    しました。
    1、U47出撃す
    2、ビスマルク号を撃沈せよ
    3、戦艦シュペー号の最後
    4、ソルジャー・オブ・オレンジ

    1は、ご承知のようにスカパーフローを奇襲した戦時中のドイツ海軍の英雄、
    ギュンター・プリーンの物語を戦後まもなく描いたドイツ作品ですので軍装は
    かなり期待できますが残念ながら12個のボタンは確認できませんでした。
    で以下結論を申し上げますと胸章のデザインが気に入らない、あるいはボタン
    の位置がチョット変だな思うのですが3の「戦艦シュペー号の最後」でドイツ軍
    士官が12個のボタンがついた上着を着用しているのが確認できます。
    では書籍や写真などの資料ではどうでしょうか。
    私が少しだけ持っている当時の士官のプライベート写真では確認できず、国内外
    で出版された資料本で一つだけ該当の士官略式軍装の写真を見ることができました。
    それはアルバンが企画し並木書房から発売された「ドイツ軍ユニフォーム」です。
    これには、はっきりとお尋ねの士官略式軍装が掲載されてます。ちなみにこの本は
    ドイツで出版された本を和訳したものなので信頼性は高いと思われます。
    以上簡単ですが参考になれば幸いです。

    ちなみにドイツからは「クリークスマリーネ・ユニフォーム」という、まさに
    WWⅡドイツ海軍の軍装品を詳細に記述した素晴らしい本が出版されてます。
    ドイツ語が理解できればお尋ねの件なども、より理解できると思うので、
    大日本絵画社さんで和訳出版していただければありがたいですね。

    では長くなりましたので失礼いたします。

  3. [578] 嗚呼

    はまりそ

    みなさんお久しぶりです。はまりそです。引越しでごたごたしていました。
    でも、十日以上前に「大ニュース」書き込みがあったなんて!!!んんん。
    新金型ですよね。わくわくです。ハセガワは扱ってくれるでしょうか?心配です。子供のおもちゃ的じゃないことを祈って、注文できる日を待っています。

  4. [577] ビスマルクの話題少しだけ入ります

    兆治

    U99さん、ウナギさん、こんちわ。
    一昨日、北部戦域から一時復員しました。
    さてビスマルクの話題、主砲塔の塗色ではないのですが、昨夜NHKハイビジョン
    でタイタニックのキャメロンとNHKが共同制作したドキュメント『海底の戦艦ビスマルク』
    が放映されましたので少しだけ入れてください。
    この番組ご存知の方も多いかと思いますがハイビジョンの特番ゆえ未見の方も多いとかと
    思いますのでまずは簡単に紹介します。
    昨年2002年の5月にキャメロン率いる探索チームは最新の装備を備え、かってビスマルクが辿ったの同様にキール運河を通り大西洋を目指します。
    この調査船にはビスマルク号の生存者である複数の元ドイツ軍人も乗船しています

    母船には6000メートルまで潜れる有人潜水艇二隻の他にこの潜水艇に装備されている
    超小型の無人船も搭載されています。
    これら最新の装備と各種資料、生存者の証言などで英国海軍との最後の戦いの凄まじさや
    ビスマルク号沈没の謎などが科学的に明らかにされていきます。
    海底に鎮座するビスマルクの姿と、ときにCGや再現映像で見る番組はとても興味深いものでした。

    長くなりますのでこの番組から私が特に興味を引かれたポイントだけ紹介します。
    1、雷撃機の攻撃により舵が損傷し操船不可能になりフッドの仇を討つべく英海軍に包囲されたビスマルクは2千数百発の砲弾を打ち込まれ、嬲り殺し状態にされたが
    あまりに接近しすぎた英海軍戦艦の放った700発以上の主砲弾やドウセッシャーの放った3発の魚雷も致命傷を与えることが出来ずにビスマルクは最終的に自沈した。
    2、下の投稿でU99さんが述べている「5月22日に艦首、艦尾のハーケンクロイツを消したというのがあるのですが、これを何色で消したのかがまた分からない・・・・。」
    この鉤十字は実際には消されてなかった。

    以上・・・・
    ※過去の経験からこの番組いずれ総合チャンネルあるいはBS11あたりで再放映されるものと思われますのでお見逃し無く・・・・

  5. [576] Uボートとビスマルク

    U99

    ウナギさん:
     レベルのVII型Cの値段は8000〜9000円の間位だと思います。この件の情報源は英国人なのですが、彼が見た新カタログには39.99ポンドと書いてあったということなので。もうすぐニュールンベルクでトイショーがあるので、また新たな情報が出てくるかもしれません。楽しみですね。

    ビスマルク砲塔天蓋のイエローについて
     私もこの分野を調べ始めたのはつい最近なので、非常に僭越極まりないのですが、その後さらに調べた結果を報告しますと、ビスマルクの砲塔天蓋が黄色に塗装されたのは、生存者の証言によると1941年5月26日の朝です(ドイツ海軍西部管区司令部による生存者オットー・マウス3等水兵に対する同年6月24日付聴取報告より)。そして、フランス沿岸に逃げ切ろうとしていたビスマルクがこの日付にいた地点は、長距離偵察機の飛行範囲に入る少し前でした。その前日の25日19:30頃には、西部管区司令部が空軍によるビスマルク支援準備を同艦上のリュッテェンス艦隊司令官に打電しています。つまり、この日に黄色に塗ったのはやはり対空識別に備えるためだったんですね。因みにその生存者によると、塗った黄色は短時間で海水に洗い流されてしまったので、さらに上塗りしたそうです。赤や水色、黄色がどの戦域で使用されたかについては、ウナギさんもお持ちのモデルアート季刊「ドイツ大海艦隊」にも詳細に書いてあるので私などの出番ではありません。私もこの本で大いに勉強させていただきました。
     では、砲塔が黄色に塗られたビスマルクを写した写真は存在するかというと、その可能性はないようです。そもそも、「ライン演習」に出撃したビスマルクを写したドイツ側の写真のうち、現存するのは、これに帯同したプリンツ・オイゲンから写したものだけです。ビスマルクにも多くの報道班員が乗っていたそうですが、彼らが写した写真は海底に沈んでしまっています。そして、プリンツ・オイゲンは対フッド戦(5月24日)が行われた12時間後には単独で通商破壊戦を遂行すべくビスマルクと別行動を取ってしまっているので、黄色く塗装(26日)された砲塔を写した写真はあるはずがないんですよね(もちろんイギリス側の写真もありますが、遠方すぎてビスマルクのシルエット確認すらできない代物)。
     私もこれに気付くまでは、24日にプリンツ・オイゲンから撮影されたドイツ側の最後の写真の中に「明らかに」周囲構造物の塗装よりも「明るく」写っている砲塔天蓋を見つけて、「これがイエローの根拠か」と浮き足立ったものですが、これは単に光の反射効果の問題に過ぎないようです。この点は、海外の研究者も指摘しています。モノクロ写真中の色を判断することがいかに難しいかを改めて思い知らされた次第です。
     そういえば、前述の「ドイツ大海艦隊」の中に書いてありましたが、例の白黒帯の塗装、いわゆる「バルティック・スキーム」の塗装目的も、味方の対空識別用であったというのは新発見でした。なぜ、ビスマルクが(プリンツ・オイゲンも)「ライン演習」に出撃するにあたってこの塗装を消したのか、今までの迷彩説ではどうもしっくりいきませんでしたが、これで長年の疑問が氷解しましたし、それだけの説得力がありました。
     ビスマルクの塗装に関してはこの他に、5月22日に艦首、艦尾のハーケンクロイツを消したというのがあるのですが、これを何色で消したのかがまた分からない・・・・。
     とりあえず、ビスマルクの塗装の変遷についてはこちらを御覧になってみて下さい。このサイトは他にも貴重な情報が一杯で、素晴らしいです。
    http://www.kbismarck.com/perfili.html
    ではまた。(相変わらず長いな、書き込みが・・・・)

  6. [575] 仕事が手につきません!

    ウナギ

    U99さん こんばんは。
    >遂にとうとうレベルが1/72でVII型cを出すそうです!

    このビッグニュースは、出社してパソコンを立ち上げると同時に目に飛び込んできました。
    おかげで、仕事が手につきませんでした。1/72… いいサイズじゃないですか!
    S−100の発売を知ったときも待ち遠しかったですけど、今回はそれ以上です。
    あとは、なるべくリーズナブルになるのを祈るばかりです。
    うれしい情報をありがとうございました。
     
    さて、ビスマルクの砲塔天蓋の塗装の件ですが、私の手許には文林堂の「ファイティングシップ
    ドイツ水上艦艇」程度しか資料がありません。それでも、カラー写真により
    プリンツオイゲンのカーマイン、ヒッパーのイエロー、シャルンホルストのライトブルー(副砲)
    は確認できます。これにより、ドイツ艦の砲塔天蓋の識別塗装が実感できました。
    ビスマルクに関しては、モノクロ写真の中に明らかに艦体色と明度差が認められるもの(カーマイン?)が2枚ほど確認できましたが、イエロー、ライトブルーの場合、明度差はどうなんでしょうか。
    ところでその識別塗装ですが、やはり味方の制空権の範囲なんかと関係あるんでしょうか?
    沿岸航行と外洋航行で塗り分けるとか、空軍と何らかの取り決めがあったとか?
    今後のU99さんの研究を期待しております。

  7. [574] 大ニュース!

    U99

    みなさん。今日はかたい話は無しです。
    先日から話題になっている模型の話ですが、遂にとうとうレベルが1/72でVII型cを出すそうです!
    欧米のモデラーが今年のカタログで確認したところによると、第四四半期に発売予定だとか。
    現在のレベルの技術はタミヤ並みですから、これで全長90センチ強の精密な模型が誰にでも簡単に作ることが出来ます。
    ちょっと興奮気味ですみません。まずはお知らせまで。ではでは。

  8. [573] ドイツ人のこの映画の捉え方

    U99

    gonrokuさん
    レスありがとうございます。今回もまた長くなりますが、お許しください。
    >必死で生きようとする姿に共感
     その点は重要だと思います。この映画が世界中で受け入れられたのは、やはりそういう点が普遍的に共有されたからだと思います(恥ずかしながら、私はこの映画で暗い浪人生活を乗り切ったことは以前にも書いたとおりです)。そして、さらに私見を言わせて頂くと、この映画は我々に与えたよりも遥かに大きなインパクトをもってドイツ人の心に刻まれていると思うのです。
     かなり以前、こちらで故・辻邦生氏の「Uボートへの鎮魂歌」と題する論評(キネマ旬報1982年1月下旬号)を紹介させていただきました。その中で辻氏は、「ドイツ人はこの映画で心置きない鎮魂の念を感じたであろう。私には、戦中・戦後のドイツの苦悩がここで浄化されたように思えてならない」と書いています。私には、この見方の正しさを確信するに至った二つの経験があります。
     一つは、1987年にラボエのU995を初めて見学した時です。この時、見も知らぬ年配のドイツ人のご夫人に、この映画が日本でも公開されたかどうか、どの位の期間公開されたのか、評判はどうだったかなど、矢継ぎ早に聞かれました。わずか5分ほどでしたが、彼女の態度には、こうしたことをどうしても知りたいという気迫すら感じられました。
     もう一つは、その10年後の1997年に、「Uボート」が撮影された場所でもあるミュンヘン郊外の映画テーマパークを訪れた時です。その際、各ドイツ映画のワンカットをモニターで紹介する場面があったのですが、「Uボート」の一場面が写し出されると、ナレーターが題名を言う前に、周囲のドイツ人、特に高齢者たちが口々に””Das Bootだ!””とその題名を発していました。これは、他の映画の紹介時には見られなかったものです。
     どちらも公開からかなりの時間がたった時点での出来事でした。だからこそ私には印象的でした。どうして彼らはこの映画に今だにあれだけの反応を示すのかと。
     思うに、やはりこの映画はドイツ人戦中派にとっては単なる戦争映画にとどまらず、長い間心に閉じ込められていたトラウマにカタルシスを与えてくれた特別なものなんですよ。映画のラストシーンで、次々に戦死していく戦友を見るヴェルナーの視線は戦中の彼らの視線そのものだと思うのです。それはまさに同胞が見た同胞の死という観点です。そして、ラストのラストで、呆然としてへたり込むヴェルナーの姿に自らを重ね、それを客観的に見る瞬間が、彼らのトラウマが純粋な悲しみに昇華された瞬間なんです。我々がこの映画のラストシーンを見ると、私も含めて、どうしても「戦争の悲惨さ」などというステレオタイプ的な見方になりがちですが(ならなかったら失礼)、戦中派ドイツ人はそうした一般論的な受け止め方よりも遥かに身近にこの映画を受け止めているように思えるのです。
     で、ここからが問題で、本論です。この映画を批判する元Uボート乗組員はこうした受け止め方をしていないのか、ということです。これも私の思い込みかもしれませんが、彼らだって一般のドイツ人と同様に、いやそれ以上にこの映画でカタルシスを感じたはずです。なぜなら、この映画の中に描かれているのは、それまでの映画にはなかった、まさに彼ら自身の剥き出しの生と死に一番近い形であり、その再現だからです。生と死の問題の前に、爆雷攻撃のシーンの誤りなどどれほどの意味を持つか。彼らは逆にフラッシュバックすら感じたのではないでしょうか。そうした自らの生と死を内側から描いた物語に感情移入しないなどということがありえましょうか。前述のキネマ旬報にも書いてあったように、この映画の試写会に招待された元乗組員たち(この中には反ブーフハイム派もその逆の者もいたでしょう)が映画を見終わった時に示した態度、つまり拍手するでも、反感を示すざわめきすらも起こらず館内が静まりかえったという記述、これこそ彼ら共通の真の内面の状態を如実に表しているとは言えないでしょうか。
     ブーフハイムを批判する元乗組員は、きっとブーフハイムに悔しい思いをしていると思います。それは、彼らと立場の異なるブーフハイムにこうした物語を書かれ、不覚にもそれに感動してしまったからです。その悔しさゆえ、さらにブーフハイムを攻撃する声に力がこもるというもの、などと言うのは下衆の勘繰りでしょうか。
     相変わらずの独断と偏見かもしれません。元乗組員から「何も知らないくせに」という声が聞こえてきそうです。でも私はこう答えるつもりです。「Uボートとあなた方のことはどんなことでも看過できないのですよ」と。失礼しました。
     

  9. [572] あの軍服は?

    フリッツ

    Uボートの映画の冒頭の場面で士官達の軍服の美しさに、初めてこの映画を見て以来20年来憧れています。特に両胸の襟とピークラベルの間にわずかに見える金ボタンが、何と奥ゆかしく、しかし、何と確実に軍服の名誉を自己主張していることか。何度見てもほれぼれします。ところでこのスタイルのドイツ海軍の制服はこの映画でしかお目にかかっていません。史実に確実に即している映画なので、間違いはないのでしょうから、どなたかこのことについてご存じの方が入れは教えて下さい。

  10. [571] 攻撃せよ!前進せよ!撃沈せよ!

    gonroku

     昨日更新しておきましたが、TDKコアより発売されていた『Uボート』のドキュメンタリー3巻がDVD化されます。私は一本しか持ってなかったので、嬉しい限り。これでまた動くUボートが見れる!

    > ウナギさん、U99さん
    > 軍法会議でしょうか
     いえいえ、どんどんやって下さい。刑は減らしておきます。

    > U99さん
     いつもの事ながら、感銘しました。
     秋山信雄氏のいう「真の潜水艦乗り」の姿や、U-123元乗組員のいう勇猛果敢ぶりを描いていたとしたら、それは単なる戦意高揚映画になってしまうのでしょう。この映画を絶賛する人のほとんどが、この乗組員たちの兵士としての姿ではなく、人間としての姿に共感していると思います。必死に戦おうとする姿ではなく、爆雷に怯える者、錯乱状態になるもの、神に祈るもの…必死に生き残ろうとする姿を描いているからこそ、その人間くささに共感してしまうのです。以前、U99さんから頂いた資料のなかに、原作が出版された当時の潜水艦協会会長であるアダルベルト・シュネー元艦長が「潜水艦隊が、打ちひしがれ、退廃的になった男達の集団であった」と語っているとありました(キネマ旬報の記事=西独新聞ディー・ヴェルト1981年9月17日の記事)が、この映画はまさにそんな姿を描いていると思います。
     普通に生活している人間として、攻撃し、前進し、撃沈する任務を帯びた軍人に置きかえ、疑似体験することはムズカシイですからね。この映画を否定できるのは、潜水艦乗りだけ。という事になるのでしょうか。
     それにしても、映画を肯定的に見て絶賛し、その矛先はいつもペーターゼン監督なのに、否定的な意見の矛先はブーフハイム氏というのも面白い構図ですね。

     ところで、昨日の民放で『U-571』やってました。このドイツ海軍U-571艦長のトーマス・クレッチマン、新作映画『U-Boat』でも艦長なのでしょうか。海外サイトでもあまり情報はのってませんが、ドイツ軍に好意的に描かれているとのことで一安心。撮影が順調に進むことを祈るばかりです。

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