潜水艦映画

U-571調査報告書

映画『U-571』(2000年・米)

第二次大戦下の北大西洋。連合軍の攻撃を受け航行不能に陥ったUボート”U-571″の存在を知ったアメリカ海軍は、ドイツ軍の暗号機”エニグマ”を奪おうと、自国の潜水艦S-33をUボートに偽装させU-571へ接近する。任務についたタイラー大尉らは修理員を装ってU-571を制圧し、”エニグマ”奪取は成功したかに見えたが、待機していたS-33が、救護に駆け付けた他のUボートに雷撃されてしまう…。


U-571 バスナー大尉(トーマス・クレッチマン)

バスナー艦長ドイツ海軍U-571の艦長。最初に敵船を沈め、偽装した米軍にいち早く気付き(ちょっと遅かったが・・)、執念でU571にたどり着いて米兵と格闘し、最後までモールス信号を打っていた彼は立派な軍人でした。

U-571

U-571Uボートが登場するとはいえ、米軍が主人公の物語ですが、Uボート艦内の美術監督は『U・ボート』のGötz Weidner。冒頭のバスナー艦長指揮するU-571のシーンはドイツ語が飛び交い、まさに『U・ボート』を思い起こさせます!故に私はこのわずか7分のシーンだけ何度見たことか…。

ここで描かれているのは『U・ボート』から約半年後の1942年4月、前年末のアメリカ参戦に対して独軍が展開した「太鼓連打作戦」(アメリカ船舶がこてんぱんにされた作戦)で独軍による敵船舶撃沈トン数が最高潮に達した頃のこと。

物語のヒントとなったのは1941年、フリッツ・ユリウス・レンプ艦長指揮するU-110が拿捕され、英軍による”エニグマ強奪作戦”が成功した時の事や、1943年の米軍によるU-505捕獲作戦。とはいえ、あくまでもヒントにしたと言うだけで、ストーリー展開は実話ではありません。まぁ、おかしな設定も多々ありますが、実話でないと思うと、エンターテイメントとして充分楽しめる内容です。

WHAT’S “ENIGMA”?

その「エニグマ」とは…。1926年にドイツ人電気技師アルトル・シェルビウス博士が考案し、製造会社を設立したが、ヒトラー政権により、軍に採用(独占)された『タイプライター型 暗号機』(映画『U・ボート』では次席士官が打ってます。)。技術的な準備と作成、数学的な諸計算はそれぞれ別会社でおこなわれ、2つの会社と海軍最高司令部とは直接結ばれていた。

第一次大戦で苦痛を強いられた英軍は1919年から「暗号学校」を設立し、独軍の暗号解読に力をいれていた。『エニグマ』は元々商品として輸出もされており、ポーランド情報部はそれを購入して、ある程度まで解読していた。その情報はイギリスにもたらされ、イギリスでは同じ装置を作ることに成功していた。しかし暗号書がないかぎり、その『エニグマ機』はイギリスにとって『使えないタイプライター』でしかない。

その『タイプライター』は基本的にキーを1つ押すと、暗号化されたアルファベットに光があたる。しかしその中身は複雑(暗号機だから当然)で、3~5個のローター(片面26、両面52の文字が書かれた円盤状のもの。)が取り付けられ、その内部では両面の文字同士が電線で結ばれ、変換されて次のローターに伝わりその内部もまた異なる配線で結ばれ、次のローターへ接続する。1文字押すと一つ目のローターが回転しはじめ、一回転すると二つ目のローターが回転しはじめるので、「AA」と入力しても(例えば)「GG」と変換されることはない。中の配線の異なるローターは日変わりで選択、配置できた。戦争後期には8つの中から選択でき、暗号文も印刷できるようになっていた(勿論リボンは海水に溶けるし、紙も水溶紙だった)。 もしも、艦が敵に拿捕された場合、『タイプライター』又はその『ローター』だけでもハンマーでブチ壊し、暗号書は便所に流せばよい。

イギリス軍は入手したそのエニグマ機や、暗号書によって解読に成功していることを極秘にし、1942年末にはほぼ「完全」「即座」に解読できるようになり、海上戦で有利な行動をとることができた。ドイツ軍は暗号文が敵国で解読されているなど考えもせず、1943年1月に補給潜水艦(ミルヒクー・U459)が大西洋上でUボートを待ち受けていたところ、そこに現れたのが敵駆逐艦だったことから、それが偶然ではないことに気付いた。しかし、疑いの目は味方に向けられ、海軍総司令官カール・デーニッツも部下を調査するという事態になった。

1943年5月をターニング・ポイントとして、敵船舶撃沈トン数とUボート損失数は大幅に逆転し、Uボート作戦は黄昏へと向かっていった。

奪われたエニグマ

その『タイプライター』が奪われたのは1941年のこと。まずターゲットにされたのはトロール船や 気象観測船だが、Uボートから奪われたのは1941年5月9日。北大西洋で2隻を撃沈したレンプ艦長のU110は、イギリスの駆逐艦『ブルドッグ』から攻撃され浮上、捕獲された。レンプ艦長以下乗組員は海中へ飛び込んだが、艦の自爆装置が作動しないのを知り、艦に戻ろうとしたレンプ艦長は射殺されたといわれる。このことは最大級の秘密とされ、イギリス軍の対Uボート作戦は確固たるものとなっていった。

本当のU-571

1941年5月22日、ヘルムート・メールマン大尉(最終は少佐。1943年4月16日付で騎士十字章を受けている)が就役させ、8月に初哨戒に出る。北大西洋での2回の哨戒で戦果の報告はなかったが、3度目の哨戒からアメリカ東海岸に派遣され、イギリス船「ハートフォード」、ノルウェーのタンカー「コル」、アメリカの小型船「マーガレット」を沈め、1942年5月7日ラパリスに帰投している。その後の哨戒ではメキシコ湾に出航し、イギリス船「ユマタ」を撃沈、アメリカ船「J.A.モファート・ジュニア」、「ペンシルヴェニアサン」にダメージを与え、帰投。以後また北大西洋に派遣されたが、戦果は報告されていない。

1942年12月、6回めの哨戒では『トーチ作戦』の補給路を断つため、アゾレス諸島南西海域へ、7回目はまた北大西洋に派遣されノルウェー船「インゲルフィア」を撃沈。西アフリカ沖での8回目の哨戒を経て、艦はメールマン大尉からグスタフ・リュッソウ中尉に引き継がれた。1944年1月28日、リュッソウ艦長の2度目の哨戒でアイルランド沿岸に派遣された際、第461飛行中隊のサンダーランド機(オーストラリア空軍:R.D.ルーカス大尉)に撃沈されている。

イギリス海軍Uボート?

第二次隊戦中に敵国の潜水艦になったUボートといえば『U570』。

U570は、1941年8月24日、ノルウェーから初哨戒に出た。3日後、未熟な乗組員の休息のため2時間潜航し浮上したところ、イギリスのハドソン機に探知、包囲され、駆けつけた哨戒挺と駆逐艦によって拿捕された。U570の艦長ラームロウは自沈させようとしたが、『自沈するなら我々は救助しないし、救命ボートは射撃する。』と脅され断念するしかなかった。U570はアイスランドまで曳航され、詳細に調査された。

デーニッツの『灰色狼』をまるごと一隻頂戴したイギリス軍は、それによってUボートが以外にも深く潜航できることを知り、自国の爆雷の起爆装置を200~300まで調定できるようになった。(肝心の『エニグマ』は拿捕されたときラームロウ艦長によって破壊され、秘密書類も破棄された。)隅々まで調査されたU570は『グラーフ』と名付けられ、一年後ビスケー湾へ哨戒に出、U333(クレーマー艦長)に魚雷を放った。U333はその前にコルベット艦<クローカス>と死闘を繰り広げてボロボロになり、やっとのことで航行中だったが、なんとか魚雷を回避した。(『グラーフ』は、ボロボロ艦U333が出す奇妙な音を勘違いして、『撃沈!』と報告している。)

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