Uボート本
Uボート、西へ!―1914年から1918年までのわが対英哨戒
U-BOOTE WESTWÄRTS!
久々のU本は、『Uボート、西へ!―1914年から1918年までのわが対英哨戒』。
“わが”対英哨戒の名の通り、第一次世界大戦のUボート艦長エルンスト・ハスハーゲンの戦記。翻訳は、近年のUシリーズ、「Uボート部隊の全貌」「Uボート戦士列伝」「大西洋の脅威U99」でおなじみの並木均氏。またしても貴重なU本を日本に紹介して頂いて感謝感謝です。
第一次大戦ものは、ほとんど読んだ記憶がなく、たぶん「世界の艦船:特集・Uボート[1]」(1993.9)に載っている範囲しか知らないんですが、第一次大戦Uボート艦長の手記としては日本語で読める唯一のものでしょう。(一応、デーニッツも「ドイツ海軍魂」で潜水艦艦長時代を回想してはいますが…)
表紙は洋上のUB67。ブーフハイムが撮った『U・ボート』のジャケ写にも似た躍動感あふれる珍しいショットです。
訳者あとがきによると、原書の「U-Boote Westwärts!」は1931年に初版が発行され、さらにコンパクトにまとめたものが41年に登場。今回の翻訳版はその41年バージョンのもので、日本でも41年に「Uボートは西へ」のタイトルで愛国新聞社から出版されていたのだとか。
本は著者が1915年4月にU-22(U3級)に先任士官として乗り込むところから始まります。海へ出て早々に艦の故障など不運が続き、3度の出撃を経て1916年2月にUB21の艦長へ。UB21で6回目の長期哨戒で商船7隻を撃沈し、同年12月にU62の艦長に任命されます。U62では商船47隻・軍艦1隻を沈めたそうです。
無益の航海を続けて嵐に遭い、敵艦に遭遇しては潜航し、攻撃しては反撃され、海底に釘付けされて動かなくなったり、殺気立つ駆逐艦に追い回され…、そのまんま『U・ボート』の各シーンと重なります。ドーバー・カレー海峡では、突破か退却か苦悶の末に封鎖突破を決意。「南に行けば運に恵まれるかもしれん。全速で行くぞ!」など、ジブラルタルシーンぢゃないの…って思いました。前部室から「アラブの歌」が聞こえてくるようで、思わず「アフリカへ直行だ」と合いの手を入れたくなります。
ほとんど第二次大戦と変わりのない戦いと哨戒が繰り広げられますが、第一次大戦のUボート戦で特徴的なQシップ(囮船)についても「人間の疑似餌」で詳しく書かれています。商船のフリしてUボートをおびき寄せ、隠していた砲で奇襲する…、イギリス海軍が編み出した何とも姑息というか狡猾な対Uボート戦です。彼らの餌食になったUボートもあれば、生死をかけた大芝居もあえなく見破られ、沈められた囮船もあり。このあたりのスリリングな戦いも臨場感たっぷりです。
もちろん、洋上の体験だけでなく、艦の性能や内部構造も「Uボートの世界」で語っています。リベットへ思いを馳せる導入部分から、タンク・弁・機関・魚雷、そして乗組員の鉄の意志など、”忠実にして勇敢なる艦”へのリスペクトが止まりません。かつてこんなにリベットに対する思いを吐露した艦長がいただろうかというくらい(笑)。リベットフェチの私としてはここにとても親近感を覚えました。
プロパガンダを狙ったのかわかりませんが、41年に堂々と再販され、序文には「第二次大戦たけなわの今…」と書かれています。第二次大戦後に出た艦長や乗組員の自伝と違って悲壮感や軍部への痛烈な批判もなく(多少皮肉ってますが…)、危機的状況でいかに冷静に考え行動するか、その模範のようなものが記されています。本が再版された’41年に、ハスハーゲン艦長はダンツィヒの第25潜水戦隊の司令を務めていたようです。きっと「少佐殿!名著でありました。自分も早く海へ出て戦果をあげたいです!」とか何とか声をかけられていたんではないでしょうか(想像)。少なくともこれを読んで「Uボート乗りに、俺はなる!」って叫んだ青年もいたと思います(想像)。
リズム感ある筆致が冴えわたっており、すらすら読み進められるので、『U・ボート』好きなら是非読んでみましょう!!