過去ログ

前部室過去ログ(2002)

前部室過去ログ 2002/01/01 ─ 2002/12/31

  1. [395] 下士官の階級について

    U99

    gonrokuさん: 
     乗組員についてまた新たな発見があったようですね。ランプレヒト・・・・確かにそんな名前があったような記憶があります。研究は確実に進んでいますね。喜ばしいことです。ところで、映画の中で彼は「兵曹長」と訳されていますが、これも正確ではないんです。
     そこで、ドイツ海軍の兵曹クラスの階級についてちょっと触れさせて下さい。
    先ずこのクラスには上級からStabsoberfeldwebel、Oberfeldwebel、 Stabsfeldwebel、 Feldwebelの4つがあります。これを日本語でどう訳すか。元来、ある国の階級を他の国のそれに当てはめることは厳密にいうと不可能なのですが、全く違うということもないので、昭和18年以降の旧日本海軍の階級名に準拠させてみます。都合の良いことに旧海軍にもこのクラスには4階級ありました。それぞれ、兵曹長、上等兵曹、一等兵曹、二等兵曹です。
     さて、ヤヤコシイことに上記ドイツ語の階級は海軍ではそのまま使用されることはなく、それぞれの専門ごとにその階級に相当する名称が与えられていました。例えば、機関キャリアの二等兵曹(Feldwebel)はMaschinist と呼ばれるのに対して、同じ階級の航海キャリアはSteuermannといいます。
    そうすると、このランプレヒト君の階級は何でしょう。彼はBootsmannと呼ばれており、階級章もそれを示しています。実はこの階級は上の例と同じ階級、すなわち掌帆キャリアの「二等兵曹」です。ですから、3階級も上級の「兵曹長」と訳すのはおかしいのです。

  2. [394] KONDOM DES GRAUENS

    せた

    はじめまして

    先日CS放送で「キラー・コンドーム」という映画を見ました。

    舞台がニューヨークなのに、会話はすべてドイツ語。恐怖映画っぽいで
    すが、結構笑いました(^^;

    女子大生の父親がトムゼン艦長に似てるなと思い、「乗組員素行調査」
    で確認させていただところ、正解でした。「ブリキの太鼓」はDVDを
    持っていますが、これにも出演されていますね。

    「Uボート」のほうは、劇場公開版と完全版のビデオ、ディレクターズ
    カットのDVDを所有しています。個人的には「Uボート(完全版)」
    のDVDが出るといいなと思っています。ディレクターズカットには、
    ウルマンとフランソワーズの別れの場面が含まれていませんので・・。

  3. [393] U-BOOT KRIEG

    gonroku

    こんばんは。
     また素行調査をしました。
     先日書き込んだ、兵曹長主演の新作『MON-ZEN』です。ミドルエイジ・シンドロームに陥った中年兄弟が、人生を求道しようと、『禅』の道へ…。といったストーリー。
     プレス資料から、兵曹長は『Uボート』で”ランプレヒト”という名前を与えられていたことが判明。微収穫。

    マルシュさん
     ブーフハイムの本は『U-BOOT KRIEG』の裏表紙です。カメラをぶら下げて、88mm砲に座ってます。

  4. [392] カメラ

    マルシュ

    >>ブーフハイムの本では彼自身がカメラを持った写真がありますが

     これってどの本でしょうか?写真集をめくったけど、見つからなかったのですが。

     IIIcは戦争中に生産していた当時最新のモデルです。IIIcだけを従軍記者に配ったということはないでしょうが、IIIaやIIIb等を渡されたのなら、それは中古品ですね。IIIdってのもありますが、これはIIIcにセルフタイマーを追加したモデルで、400台作っただけのレア物です。IIIcを支給される割合が高かったと思います。
     当時、ASA50でも高感度フィルムだったことや、薄暗いUボートの艦内を考えれば、ブーフハイムの写真集で、粒子が粗かったり(高感度フィルムの弱点)、ブレていたり(シャッター速度が遅い)するのもわかります。
     逆に、妙にピントが鮮明できれいに撮れている写真は、頼んでポーズを取ってもらった「ヤラセ」じゃないかと思います。

  5. [391] ストロー・ハット

    gonroku

     昨日本屋で『ドイツ軍ユニフォーム&個人装備マニュアル』なる本を見つけました。
    『グラフィック・アクション』の記事を再編集したらしいのですが、そこにはバトルドレスにストローハットの珍妙なイラストが…。
    コメントには「U96のクルーが帰港した際に着用していたもの」と書かれていました(笑)。

    U99さん
     ご無沙汰です。私はまだ撃沈されるわけにはいかんのです(笑)。
     色々妄想はふくらむのですが、それが中々形にならないわけで…。
     サカナ研究ご苦労さまでした。
     水族館からエンブレムの研究へと至るのはさすがです。毎度の事ながら、その探究心には恐れ入ります。
     そうです、そのサカナが何であるのかは我々には重要なのです。
     でも、メカジキが一番近いでしょうか。尾の形とか…。結局のところ、知っているサカナを各々が連想して3種類に別れたってとこでしょうか。ちなみに私は「ノコギリエイ」の存在を初めて知りました
    …。
     私はこのエンブレムを元にお粗末なキーホルダーを作りましたが、ヒレの位置も気にせずにただ立体にしただけなので、正面から見ると情けないです(笑)。しかも、今気付きました(笑)

    兆治さん
     お帰りなさいませ。
     欧州地方は散々な天気だったようですが、大丈夫でしたか、Uボート…いやいや兆治さん(笑)
     無事ご帰還とのことでなによりです。

    > 1人のご老人が、あるプレートの前で立ち止まり
    > 名前の部分を指で丁寧になぞっておりました。
     とても印象的な場面です。
     その方を含め、当時の彼らがどういう生き方をし、戦い、死んでいったのかを語り継ぐ人も数少なくなっていくんでしょうね。

    > そこには幾度となく写真や映像で見たあのUボートが鎮座していました。
     その光景が目に浮かぶようです。私なら卒倒間違い無し(笑)。
     続きも楽しみにしております。

    マルシュさん
     ライカ情報、次のコンテンツに使わせて頂きます。
     ブーフハイムの本では彼自身がカメラを持った写真がありますが、当時の従軍記者に支給されたものは全部IIICなのでしょうか。
     

  6. [390] 映画の中のライカ

    マルシュ

     ヴェルナーが持ってるカメラは、今までライカIIIcだと思っていたんですが、コマ送りして見ていて、
    フラッシュ同調用のコネクタがついているのを発見。
     このようなコネクタがつくのは、1950年に発売されたIIIfからです。おそらく映画の小道具として使
    われたのは、IIIfか、あるいはIIIf仕様に改造されたIIIcだと思われます。

     どちらにしても戦争中は存在しないタイプですから、考証の手抜きといえなくもないですが、コマ送
    りにしてやっとわかる程度のアラなんで、仕方ないかも。

  7. [389] お帰りなさい

    クボヒロ

    >兆治さん
    ドイツよりお帰りなさい。オットー・アイシュテール大佐に敬礼!(笑)。

  8. [388] 続き

    兆治

    ↓の続きです。

    ラボーの町中で迷ってしまい、通りすがりのカップルにUボートの場所
    を尋ねたら、言葉が分からないにもかかわらず、とても親切に教えて
    くれたのでミューゼアムの看板を頼りに進むと大きな駐車場に辿り付き、
    その奥に、これまた大きなUボートの看板を出した茶店兼、土産屋があ
    ったので、ここに間違いないと確信し車を停めたあと人の流れにまかせ
    海まで少しばかりの距離を歩くと、そこは海水浴客で賑わう砂浜でした。
    横には海軍顕彰記念館の特徴ある建物がありました。
    しかし本命の?型U955の姿は見えません。あたりを注視すると右斜め
    方向に木が立ち並びその方向の視野が妨げられております。木立の脇を
    進むと突然視界が開け、そこには幾度となく写真や映像で見たあのUボー
    トが鎮座していました。

    実際に外から見る?型Uボートは想像より大きく圧倒されました。
    さっそく船内に入るべく入り口に向うと季節柄、大勢の人が行列を作
    り並んでおります。
    一瞬躊躇したあと、これも体験とばかりに気を取り直し列に並び10分
    ほど待ったでしょうか。
    後部魚雷室横に開けられた入り口から船内入ることができました。

    船内は込み合っていたせいか外から見た船体の大きさとは逆に映画
    「Uボート」で受けた印象以上に狭く感じられ暑さと湿気で決して
    爽快とはいえない状態でした。

    それでも船内にいる観光客の数は定員とほぼ同じの4〜50人位に思わ
    れましたので、実際の航海時を想像するとUボート乗組員にはとてつ
    もなく強い精神力が求められるのを幸か不幸か実感した次第です。

    長くなりましたので続きは、またにいたします。

  9. [387] 帰還しました。

    兆治

    gonroku艦長
    ハンブルグを拠点にしてレンタカーでアウトバーンを走り、キール港、
    メルテンオルト、ラボーと回ってきました。
    キール港で一度車を止め、周囲の景色を眺めると50数年前に、この地
    から幾多のUボートやドイツ海軍艦艇が出撃し、その多くが帰港する
    ことなく深海に沈んだだなと思うと柄にもなく、しんみりとした気持
    ちにになりました。

    ラボーの手前にあるメルテンオルトにはUボート徽章を型どった大きな
    慰霊碑があります。
    ここは一次戦、二次戦で戦死した全Uボート乗組員の氏名が艦名と
    共に金属プレートに刻まれ二つの慰霊室を繋ぐ回廊になっております。

    すぐ横手は海水浴場になっており季節柄、多くの人で賑わっております。
    が、このUボート戦死者の慰霊碑を訪れる人は少なくまるで別の世界の
    ようでした。

    戦死者の氏名を刻まれた回廊を歩くと、ご遺族なのかあるいは友人だっ
    たのでしょうか1人のご老人が、あるプレートの前で立ち止まり名前の
    部分を指で丁寧になぞっておりました。
    それを見て何か自分が場違いな所にいるように思え、まさにここはUボー
    ト乗組員の鎮魂の場所なのです。
    ↑続く

  10. [386] サカナその2

    U99

     さらに、あのエンブレムの魚を説明する際に使用されるもう一つの単語にSchwertfischがあります。「剣を持った魚」つまり「メカジキ」のことです。デザイン的にはこちらの方が近いかもしれませんが、この魚のツノにはギザギザがありませんから、ちょっと勘違いの感もなくはありません。
     しかし、いずれにしてもドイツ人でも標記に「揺れ」があることが分かります。結局、あれが何の魚をイメージして描かれたのかは、U96の乗組員に聞いてみないと分からないのかもしれない、というのが大結論。
     話は変わりますが、「Uボートの遺書」は今から20年ほど前にもNHKで再放送されました。当時、まだビデオがなかった私は友人宅で何回も見せてもらいました。今回見逃した人も、次回20年後を期待しましょう(笑)。
     それから例の軍歌ですが、これはDas Lied der grauen Woelfeです。U-boat.netでも歌詞は紹介されているのに、なぜか題名が不明となっているのが不思議です。
     まだまだ書き足りませんが今回は以上。失礼しました。

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