映画『U・ボート』調査報告書

調査報告書

映画『U・ボート』

映画『U・ボート』1981年、ドイツ映画史上空前の製作費(日本円で約20億円)をかけて製作され、誰ひとり有名スターが出ていないにもかかわらず、第55回アカデミー賞で6部門にノミネートされた。(ちなみにこの年は『ガンジー』が総なめ)
監督賞:ヴォルフガング・ペーターゼン
脚色賞:ヴォルフガング・ペーターゼン
撮影賞:ヨスト・ヴァカーノ
録音賞:トレヴァー・パイク、ミラン・ポー、Mike Le-Mare
編集賞:ハンネス・ニーケル
音響効果賞:Mike Le-Mare


元々は全6話のTVミニシリーズ用と、劇場公開用の2つの構想が練られ、TVシリーズはドイツで1985年2~3月に放映され、48~60%の高視聴率を記録している。それを135分に編集したのが、劇場版の『U・ボート』(公開はTV版より前の1982年)。さらに1997年アメリカにおいて、監督自ら編集し公開されたディレクターズ・カット版(日本での公開は1999年)がある。
↓こゆこと
■1982年:U・ボート オリジナル劇場公開版
■1985年:U・ボート TVシリーズ完全版
■1997年:U・ボート ディレクターズカット版

原作はロタール=ギュンター・ブーフハイムが1973年に出版した『Das Boot』。これを1976年に自身がシナリオとして書き下ろし、その映画化権をドイツのバヴァリアフィルムが買い、ハリウッドと組んでの製作が決まった。その時予定された監督はジョン・スタージェス、艦長はロバート・レッドフォードだったが、脚本の問題でこの企画は流れ、次に起用されたのはドン・シーゲル監督、艦長にポール・ニューマン。しかし月並みなアメリカ映画になるのを恐れたブーフハイムが、ハリウッドとのこの話をうやむやにしてしまった。

その頃、自分に話が来なくてスネていたペーターゼンのところへ、TV時代の恩師であり、その時期にバヴァリア・フィルムの社長に就任したギュンター・ロールバッハが話を持ちかけてきた。そしてペーターゼンはシナリオを練り直し、ブーフハイムの同意を取り付けることに成功した。

ペーターゼンは、巨大なプロジェクトにも関わらず、ドイツにスターがいないことを気にしていたが、”スターなんていらない。スターはボートだ!“というロールバッハの鶴の一声で、心置きなく撮影をスタートさせたのだった。

備考:
■オリジナル版
 ドイツ公開:1981年9月17日
 日本公開:1982年1月9日

映画撮影

映画撮影撮影では、シカゴに現存するU-505を綿密に調査して造られた実物大のUボートが2隻(海上撮影用とスタジオ用)、さらに3艇の小型レプリカが用意された。その他、原寸大の艦橋だけのセットも造られ、動く台座に乗せられて四方八方(放水銃、手動ポンプ、5mの高さからの滝…おまけに送風機)から水を浴びることができた。

艦内の撮影はオープンセットではなく、スタジオ用に建造された五号艦の中で撮影された。そのため俳優たちは、実際のUボート乗組員が体験した揺れや水浸しの生活を強いられ、船酔いや閉所恐怖症、「いわしの缶詰ノイローゼ」に陥る者もいたらしい。爆破の衝撃に耐えるシーンでは、「演技どころじゃなかった。まっさおで死ぬかと思ったよ」と俳優たちが口を揃えていうほど強烈だったらしく、映画の後半の俳優たちの蒼ざめた顔と髭ヅラは役作りではなかったようです。

ラ・ロシェルの出航時の撮影に使用された二号艦は、同時期に撮影されていたスティーブン・スピルバーグ監督の『レイダース 失われたアーク』に駆り出され、ナチス潜水艦U-26として登場している。『U・ボート』の撮影でクルーがフランス入りする前に数日間だけスピルバーグに貸し出したものだったが、返却されたその艦で撮影しようとしたところ、桟橋に繋留しているハズの艦が行方不明に…。前の日の嵐で沈んでしまったらしいのだが、それ以来ペーターゼンはスピルバーグに会う度に、「ネジを外したんだろ?」とからかっているらしい。

映画の撮影用に建造されたUボートは現在、バヴァリアフィルムスタジオの広場に展示されています。

一号艦 全長5m。主にプールでの撮影や魚雷発射シーンで使用。
二号艦 全長67m。主にラ・ロシェル港のシーンで使用。中は空洞で潜航は出来ないが、ネジ一本~スクリューに至るまで実物どおりに再現され、エンジンもつけられている。
三号艦 全長2.5m。リモコンで水中、水上を問わず走れる。
四号艦 全長11m。実際に鋼鉄を使って溶接され、操縦もマニュアルで行われた。魚雷発射シーン、荒れた海や水中でのシーンで使用。
五号艦 全長55m。艦首と艦尾を除いた円筒形の竜骨に木と鋼材でつくった各部分をとりつけた。メイン・バラスト・タンクには水代わりのスポンジを詰め込んでいる。スタジオ内に8mの高さでセットが組まれ、45度まで傾斜が可能。内部撮影用。

歴史背景

映画の舞台は、1941年秋、ドイツ占領下のフランス軍港ラ・ロシェル。無敵を誇ったUボート艦隊の栄光時代は過ぎ、英雄プリーン、シェプケは戦死、クレッチマーは捕捉された年。
この年は、英軍船団の警戒方式や対潜兵器も強化され、撃沈されるUボートの数が増えたころであり、映画の中でも、英軍が新たに開発したレーダーによる夜間爆撃を初めて受けるという設定(ジブラルタル海峡で)である。
軍司令部から届いた命令の『ビゴで補給し、ジブラルタルを通って、ラ・スペチアへ』というのは、その当時、北アフリカで奮戦していた、ロンメル将軍のアフリカ軍団の支援が目的で、地中海に入ったUボートが英空母や戦艦、巡洋艦を撃沈したことから、ヒトラーが地中海作戦に熱意をみせはじめ、デーニッツの意に反して、そばにあるUボートを地中海に結集させるよう命じたのであります。
この時期の地中海付近で撃沈されたUボートは7隻(この中には完全版の冒頭で語られる「神経をやられたエントラス」のU-567もふくまれている。エントラスが本当に神経をやられていたかは解りませんが…)。

Uボート

映画の主役であるUボートはU96。完全版では”U96″とハッキリいわれているが、実は原作ではそれが”U96″であるとは明かされていないし、艦長の名前も明らかにしていない。しかし原作者であるブーフハイムが1941年10~12月に乗艦したのはU96で、その当時の艦長はハインリッヒ=レーマン・ヴィレンブロックであることから、必然的に”U96″となってます。

他に物語の中に出てくるUボートは、荒天の中に登場するトムゼンの艦(VII型)ですが、彼のモデルがはっきりしないため、艦名は不明(実際に1941年秋にU96が遭遇した艦はU572)。ほかには、敵船団発見を知らせてきたU32とU37、水兵が余興で盛り上がっていたなか、無線で連絡してきたU48、英国船3隻を撃沈して30度方向に衝撃音を受けているU112が、名前だけ登場。

↓実際のそれらの艦について

U32 実際のU32は開戦前から活躍していた艦で、1940年ハンス・イェニッシュ大尉指揮のもとアイルランド沖で沈没しており、「1941年秋」には海の底。
U37 物語の中では、マルテンス艦長。
U48 敵船舶10万トンを撃沈した最初の艦長ヘルベルト・シュルツェが就航させた艦で有名ですが、ハンス=ルドルフ・レージング少佐、ハインリヒ・ブライヒロット大尉へ受け継がれ、またシュルツェ大尉の手に戻って、41年7月ジークフリート・アッチンゲル中尉が指揮をとると同時に訓練艦となり、「1941年秋」は前線には出ていなかった。
U112 物語中ではヴェンツェルの艦。IX型艦の予定だったが起工前に建造中止で、存在すらしていない。

U96

U96歴史上のU96は1939年、キールで建造され、1940年9月14日、映画のモデルであるハインリッヒ=レーマン・ヴィレンブロック大尉が就役させている。

1942年3月までこの艦長が勤め、その後ハンス・ユルゲン・ヘルリーゲル中尉が一年間、1943年3月からは訓練艦となり、1945年2月除籍、同年3月30日にW.ハーフェンでアメリカ軍の爆撃によって撃沈されている。→U-96進水から沈没まで

ハインリッヒ=レーマン・ヴィレンブロック

ハインリッヒ=レーマン・ヴィレンブロックHeinrich Lehmann-Willenbrock
歴史上でのU96艦長はハインリッヒ=レーマンヴィレン・ブロック大尉(最終は中佐)。通称”レッゲ・レーマン”は第二次大戦中の敵船撃沈トン数8位にランクされているUボート・エースである。

映画の舞台である1941年10月~12月、U96の7回目の哨戒は、この大尉にとってあまりいい時期ではなく、その前後に比べると特にこれといった戦果を上げてないようです。(この哨戒でイギリスのソードフィッシュ爆撃機に攻撃され、散々な目にあったらしい。)

映画の最後の、沈みゆく艦を眺めて血を吐くシーン。ここは原作のままですが、実際の艦長はこの帰港から一週間後、柏葉騎士十字章を授与され、翌年の2~3月の哨戒でさらに戦果をあげ、第9潜戦司令官に任命されて地上勤務となっています。
映画撮影時には、スタジオにも訪れ、5年後の1986年4月、75歳で他界した。
ドイツ海軍Uボート・エース

ジャケット写真

ジャケット写真←ジャケット写真に度々使われている、このシーン。

手(旗?タオル?)を振っているのはトムゼン?とも思われがちですが、これは原作者ロタール=ギュンター・ブーフハイムが実際にU96に乗艦した際に、荒天の中、仲間のUボートに遭遇した時のショット。映画のワンシーンではなく、大戦当時の本物のUボートです。艦はU572。

『U・ボート』サントラ以外の音楽まとめ:Das Boot Music Track

リナ・ケティ『U・ボート』の音楽と言えば、バラエティ番組でもよく耳にする「U96」あたりが有名ですが、サントラに収められていない曲でも、”歌ぐらいで信念は崩れん”と言われる「ティペラリーソング(It’s A Long Way To Tipperary)iTunes」、そして艦長お気に入りの「J´ATTENDRAI (待ちましょう)iTunes」などは大人気です。
Rosita Serranoでも、映画の中では、このほかにもシャンソンを中心にたくさんの音楽がかかり、乗組員が郷愁に浸っています。ということで、サントラに収められているスコアではなく、『U・ボート』の中で乗組員たちが聴いている、または歌っている、つまり1941年当時の流行歌などをチェックしてみました。

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