真・U96調査報告書

【前編】U96第7次哨戒の戦闘日誌より

1 はじめに

この映画の原作となったロタール・ギュンター・ブーフハイムの小説Das Boot(『Uボート』)の前文には、「これは小説だが、フィクションではない。ここに語られる事件を、著者は身をもって体験している」(松谷健二訳、早川書房)とあります。私目U99は、この部分の解釈として、「連続した体験ではなく、個々の体験の積み重ねだろう」と考えておりました。U96の作戦行動については、他のUボートについてのそれと同様、戦果の詳細(攻撃場所や撃沈した船舶の名称、トン数等)に関しては数々の文献に紹介があるものの、それ以外の行動についてはほとんど判明していなかったため、そうした点について「実際のところはどうだったのだろうか」と以前から悶々としておりました(笑)。

しかし、このたび、『Uボート部隊の全貌』(学研)の著者であるTimothy P. Mulligan博士を通じて、米国立公文書館(NA)からU96(実艦)の第7次哨戒時の戦闘日誌(コピー※)を入手し、それを読んだところ、この映画(原作)が当該哨戒に概ね忠実に作られていることが分かりました。以下、映画の場面に沿って各部を解説していきたいと思います。
(※出典:PG 30092/8, reproduced on roll 3118 of NA Microfilm Publication 1022, Records of the German Navy, 1850-1945, Received from the Naval Historical Division)

日誌自体はもちろん1ページから始まりますし、出撃するまでの間に機関の調整を行ったことや弾薬や魚雷を受領した内容などが記載されていますが、それらを逐一解説していると分量が増えてしまいますので、あくまでメインとなる場面だけの記述に留めます。


2 ブーフハイム乗艦、そして出撃

ということで、まずはブーフハイム少尉(映画では「ヴェルナー少尉」)がU96に乗り組む場面です。以下に示した日誌(3ページ目)のとおり、彼は1941年10月27日に乗艦を命じられ(一本目の赤線)、ブンカーの区画「10a」から出航したことが分かります(二本目の赤線)。映画ではラ・ロシェル(正確にはラ・パリス)のブンカーが使われていますが、実艦のU96が出撃したブンカーはサンナゼール(写真)に所在します。ちなみに、区画「10」というのはブンカー向かって右から10番目の区画のことで、「a」というのは向かって右側のバースです(赤い矢印部分。ただし、写真のように、ブンカーの壁にはそれぞれ大文字で「A」と「B」とマーキングされています)。



(写真出典:Breyer & Koop, Die Deutsche Kriegsmarine 1935-1945 Band 3, p52)

次に、例の「警報訓練」ですが、映画では出航後間もなくして行ったような印象があるのに対して、日誌には翌28日9時15分から10時57分まで行ったと記載されています。また、30日9時から同日11時にかけても潜航演習等を行ったようです。

30日12時56分には、同艦が “Stoßtrupp”(「一撃部隊」)に編入された旨の無線連絡を受けます。この隊にはもう一人のUボートエース、エーリヒ・トップ艦長のU552も含まれました。

3 早くも船団発見

その後、映画とは違って早くも31日7時7分、StoßtruppのU552から船団発見の報を受けます。当該部分の日誌をまとめると次のような感じです。

艦位(U96)BE1391(下図の赤線右端)、船団位置AK9973(赤線左端)、敵速力10ノット、距離230海里。31日11時27分、方位300度に駆逐艦のマスト3本を視認。13時に触接を失うも、さらに船団を追う。15時5分、排煙を認める。19時30分、AL8746(赤線中間の斜め右上方位置)にて4列縦隊の船団を視認。20時、船団上空に照明弾。ほどなくして船団が西方に変針。


(哨区図出典:Her Majesty’s Stationery Office, THE U-BOAT WAR IN THE ATLANTIC, VOLUME I, DIAGRAMS 11-14)

4 対船団戦の開始

そして遂に22時40分、船団に対する水上襲撃の実施を決意します。映画でもそうですが、ここはクライマックス場面の一つですから「リアルタイム」(全訳)で日誌の内容を見ていきましょう。

「2240
襲撃開始。月が雲に隠れないため、あいにくひどく明るい。だが、厳重に護衛された船団を水中襲撃するには暗すぎる。雲塊が月を隠してくれたため、これを利して接的したが、予想に反して雲はすぐに月を通り越してしまった。このため、遠距離からの雷撃を余儀なくされる。
2247
縦列中央に向け雷撃。最大級の標的に4本をそれぞれ個別発射。2本が8,000トンの客船(二重甲板)の中央および5,000トンの貨物船に命中。魚雷1本は低速にすぎたと思われ、発射後に海面を破った上に相対速力の速い本艦に追いつかれそうになる。
雷撃データ:的速(Vg)=8,5ノット、
方位角:船首左、80~70(度)、
射角:16~15度まで。
駛走時間:4分20秒=3,900m
2本目の駛走時間については記載せず。
雷撃位置BE1125(※上図赤線のちょうど中間あたり)」

この際に雷撃した船名については、この当時のドイツ側には判明していませんでしたが、ユルゲン・ローヴァー博士による戦後の研究AXIS SUBMARINE SUCCESSES OF WORLD WAR TWO(Naval Institute Press)によると、「8,000トンの客船」とはオランダ船籍のベンネコム(Bennekom)5,998トンであったことが分かります。同船は、英国からフリータウンに向けて航行していたOS10船団に編入されていたものです。

一方、「5,000トンの貨物船」については何ら戦果がなかったようで、上記ローヴァー博士による研究書には該当船がなく、記録欄は空欄になっています。おそらくヴィレンブロック艦長が誤認したものでしょう。船団に対する雷撃は戦果確認が困難あるいは不能であることも多く、これもその一例と思われます。

さて、Uボートが雷撃すると、個々の雷撃データを報告書にまとめることになっていました。そうした具体的部分については本邦の文献には全く紹介されたことがありませんし、ご興味のある方も多いと思いますので、ここではベンネコムを撃沈した際の雷撃データを下記のとおり、そっくりそのまま紹介します。

それによると、上記日誌に記載されたデータ以外の緒元が分かります。要目だけにしますが、使用魚雷はG7e(電気式)であり、雷速30ノット、調定深度3メートルに設定され、一番管から発射されました。さらに、照準は艦橋から行い、水上照準器(UZO)と魚雷方位盤(Torp.Vorhaltrechner)を使用したとあります。まさに映画のとおりですね。


5 敵艦に発見される

さて、この直後にU96は敵の砲艦(Kanonenboot)に発見され、22時53分に深度70メートルにまで急速潜航します。23時6分から同時16分までに爆雷18発を喰らい、その間、魚雷の爆発音が2回した後、汽船1隻の沈没音がはっきり聞こえたとあります。その後の翌11月1日午前零時から同日14時頃までの行動については、コピーの状態が悪いため不明です。しかし、18時57分に砲艦に発見され、19時6分に潜航したとあるので、この間も潜航・浮上を繰り返しながら船団に執拗にまとわり付いていたか、あるいはこの護衛艦にまとわり付かれていたかのいずれかでしょう。19時50分には爆雷12発を数え、その後20時にはこの砲艦が遠ざかっていったため、21時52分に浮上します。

さて、今回はここまでとします。続きは次回にご期待を。「次回」がいつになるかは分かりませんが(笑)

Posted: 2012/04/01 @ 23:03

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