Uボート・エース

ヴォルフガング・リュート

WOLFGANG LÜTH

1933年4月、海軍入りし、”戦前”だけに、手間ひまかけて基礎訓練に明け暮れ、U-27の先任士官、ハインリッヒ・リーベ艦長の指揮するU-38の先任士官を勤め、艦長としての初陣は1939年のU9。海軍入隊から6年、26歳の時である。四隻のUボートの艦長を務め、クレッチマーに続く撃沈数を誇る。大戦の前期、中期に海上で暴れ、30歳で異例の海軍大佐に昇進。海軍兵学校の校長となる。しかし、ドイツの無条件降伏の一週間後の深夜、兵学校の警備兵が近くに人の気配を感じて、応答を求めるが反応がなく発砲。倒れていたのはリュート大佐だった。事故とも自殺ともとれない末期である。ちなみにデーニッツは彼を自分の後継者として指名していた。

≫『Uボートエース―異色の撃沈王その生涯と死闘の記録ヴォルフガング・リュート伝
≫『Uボート・エース(新戦史シリーズ)[文庫]


経歴・戦果

U-13、U-9、U-138、U-43、U-181/47隻225.756トン撃沈、2隻17.343トン撃破。

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