Uボート・エース

ギュンター・プリーン

GÜNTHER PRIEN

「スカパフローの牡牛」の異名で知られるギュンター・プリーンは1908年、ライプチヒ郊外に生れる。商船学校に入学後、船乗りをめざすが、世界大恐慌により失業、のちナチ党に入り潜水艦勤務を志望。1938年、U47の艦長になる。デーニッツは英海軍の根拠地、スカパフローへの侵入はあまりに危険な任務のため、強要せずにプリーンの判断にまかせた。プリーンは48時間あらゆる海図や資料を研究し、決行すると報告。ドイツ人にとって因縁の(第一時大戦でドイツ艦隊が自沈させられた)場所スカパフローへ侵入し、みごとに2万9千トンの戦艦ロイヤルオークを仕留めた。帰港後はナチの手によって出版物、映画、講演と最大限に利用され、国民の英雄になった。撃沈数でいうと9位 にランクされるが、Uボートエースとしては、一番有名な英雄である。1941年3月、作戦中に撃沈され戦死。司令部はプリーンの死を5月まで発表しなかった。

スカパ・フローへの道 ギュンター・プリーン回想録


経歴・戦果

U-47/30隻186.253トン撃沈、8隻63.282トン撃破

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